『けものフレンズ』は世界を救う?
しばらくジャンプ感想休んでてすいません(笑)
生きてます。
今日はけものフレンズについて書こうと思いますー。

しかしながら、けっこう長い文章になってしまったので、
先に結論だけ書いてしまうと
「世界みんながフレンズになれたら、きっとたーのしー!」
ってことですw
では本文に入ります。
タイトルにもある『けものフレンズ』がやたら話題ですね!
僕はアプリ(現在はサービス終了)の存在などつゆ知らず、
アニメは1話から見てるフレンズです。
正直、1話を見たときにはあまりのガバCGと
バトルがあるわりに起伏のなさすぎる展開に
「コイツはある意味、伝説のアニメの開幕じゃあないのか…?」と思い、
その伝説を見届けようと2話3話…と視聴を続けていました。
そしたら尻上がり的に面白くなってきて、
オタクの間でも、短絡的で印象的なフレンズ話法
(「すごーい!」「たーのしー!」
「君は○○が得意なフレンズなんだね!」など)や
ちょっと不穏な単語や闇を匂わせる設定などが話題になって
いつの間にかマジで今期の覇権を狙えるレベルにまでなってました(笑)
気になったかたは実際にアニメを見てもらうとして…。
それで最近になって僕は、アニメ内でやりとりされている
『フレンズ話法』が実はすごいものなんじゃないか、と思えてきました。
きっかけは、ちょっと前に話題になったはてなダイアリー
(■けものフレンズになりたい)。
この中ではてな民のかたは
「もうこっちの世界はどこまでいっても息苦しいだけなので、
割と本気であの世界に行きたい。
俺もフレンズになりたい。
サーバルちゃんの「平気平気、フレンズによって得意なこと違うから」とか
OPの「けものはいても除け者はいない」の部分だけで泣きそうになる。」
と語っています。
正直、僕も仕事で精神的に叩かれたりして
かなり参ったりしているので、この気持ち、すごく共感できます。
誇張でなくマジな話、嫌いなものを批判したり失敗を徹底的に叩く日本人気質が
「○○が得意(苦手)なフレンズなんだね!
大丈夫!得意なことはフレンズによって違うから!」
という『フレンズ話法』によってマイルドになるなら、
これが日本中に広まってほしいとさえ思います。真剣に。
けものフレンズに影響された人が
「すごーい!」「たーのしー!」ばっかり言うので、
語彙力の衰退とかいってバカにされてる面もあるけど(笑)、
「人によって得意なことも苦手なことも違うから別にいいんだよ」って言われて
心が軽くなる人は多いんじゃないかな。
出来ないことを「なんで出来ないの?」って言われるより、
出来ることを「すごーい!」って言われたほうが
ストレスも減るし、褒められたほうが人間は伸びるはず。
フレンズ話法って対人関係においてけっこう有能だと思うんですよ。
叩いて叩いて、その悔しさをバネに耐えてきたヤツだけが
認められる…とか、そういう思想や教育方針は
せいぜい昭和までだと思うんですよ。
もう今はそういう時代じゃない。
で、これはまた話が変わるんですけど、
「フレンズ」っていう言葉もいいですよね。
直訳するともちろん「ともだち」なんだけど、
とにかくあの世界に存在するのはみんなフレンズ=ともだちなんですよ。
知らない人でも種族が違ってもちょっとケンカ腰でも、
とにかくともだちなわけです。
すごい尊敬できる考え方だと思いませんか?
これ、もし「人間」を「ともだち」に言い換えると、
使う言葉が違っても「ともだち」だし、
信じる宗教が違っても「ともだち」だし、
住んでる国が違っても、肌の色が違っても、
男も女も老いも若きもみんなみんな「ともだち」なんですよ。
みんながこういう考え方をできたら、世界はもうちょっと
平和になるんじゃないかな…?
というようなことを、『けものフレンズ』を見ながら思ったのでした。

生きてます。
今日はけものフレンズについて書こうと思いますー。

しかしながら、けっこう長い文章になってしまったので、
先に結論だけ書いてしまうと
「世界みんながフレンズになれたら、きっとたーのしー!」
ってことですw
では本文に入ります。
タイトルにもある『けものフレンズ』がやたら話題ですね!
僕はアプリ(現在はサービス終了)の存在などつゆ知らず、
アニメは1話から見てるフレンズです。
正直、1話を見たときにはあまりのガバCGと
バトルがあるわりに起伏のなさすぎる展開に
「コイツはある意味、伝説のアニメの開幕じゃあないのか…?」と思い、
その伝説を見届けようと2話3話…と視聴を続けていました。
そしたら尻上がり的に面白くなってきて、
オタクの間でも、短絡的で印象的なフレンズ話法
(「すごーい!」「たーのしー!」
「君は○○が得意なフレンズなんだね!」など)や
ちょっと不穏な単語や闇を匂わせる設定などが話題になって
いつの間にかマジで今期の覇権を狙えるレベルにまでなってました(笑)
気になったかたは実際にアニメを見てもらうとして…。
それで最近になって僕は、アニメ内でやりとりされている
『フレンズ話法』が実はすごいものなんじゃないか、と思えてきました。
きっかけは、ちょっと前に話題になったはてなダイアリー
(■けものフレンズになりたい)。
この中ではてな民のかたは
「もうこっちの世界はどこまでいっても息苦しいだけなので、
割と本気であの世界に行きたい。
俺もフレンズになりたい。
サーバルちゃんの「平気平気、フレンズによって得意なこと違うから」とか
OPの「けものはいても除け者はいない」の部分だけで泣きそうになる。」
と語っています。
正直、僕も仕事で精神的に叩かれたりして
かなり参ったりしているので、この気持ち、すごく共感できます。
誇張でなくマジな話、嫌いなものを批判したり失敗を徹底的に叩く日本人気質が
「○○が得意(苦手)なフレンズなんだね!
大丈夫!得意なことはフレンズによって違うから!」
という『フレンズ話法』によってマイルドになるなら、
これが日本中に広まってほしいとさえ思います。真剣に。
けものフレンズに影響された人が
「すごーい!」「たーのしー!」ばっかり言うので、
語彙力の衰退とかいってバカにされてる面もあるけど(笑)、
「人によって得意なことも苦手なことも違うから別にいいんだよ」って言われて
心が軽くなる人は多いんじゃないかな。
出来ないことを「なんで出来ないの?」って言われるより、
出来ることを「すごーい!」って言われたほうが
ストレスも減るし、褒められたほうが人間は伸びるはず。
フレンズ話法って対人関係においてけっこう有能だと思うんですよ。
叩いて叩いて、その悔しさをバネに耐えてきたヤツだけが
認められる…とか、そういう思想や教育方針は
せいぜい昭和までだと思うんですよ。
もう今はそういう時代じゃない。
で、これはまた話が変わるんですけど、
「フレンズ」っていう言葉もいいですよね。
直訳するともちろん「ともだち」なんだけど、
とにかくあの世界に存在するのはみんなフレンズ=ともだちなんですよ。
知らない人でも種族が違ってもちょっとケンカ腰でも、
とにかくともだちなわけです。
すごい尊敬できる考え方だと思いませんか?
これ、もし「人間」を「ともだち」に言い換えると、
使う言葉が違っても「ともだち」だし、
信じる宗教が違っても「ともだち」だし、
住んでる国が違っても、肌の色が違っても、
男も女も老いも若きもみんなみんな「ともだち」なんですよ。
みんながこういう考え方をできたら、世界はもうちょっと
平和になるんじゃないかな…?
というようなことを、『けものフレンズ』を見ながら思ったのでした。
