車道を走る自転車はジャマ?『のりりん』と『アオバ自転車店』から考える
こないだのジャンプ感想を書いた時、コメント欄にこういうご意見を頂きました。
>>ロードバイク
健康的でいい趣味だなぁと思う反面…
言いにくいんですけど、車、バイク(原付だけど)に乗ってる身の自分としては、やっぱり非常に邪魔で危険な存在です
よいロード乗り、悪いロード乗り、上級者、初心者、自転車の種類に関わらず。
自分とその周囲の人間は大体こんな感じです。
弱虫ペダルは好きだけどw本誌ではもうすぐ決着!熱い!
本当、『弱虫ペダル』は面白いですよね!
…とまあそれは置いといて(笑)
今回の主題は「車道を走る自転車はジャマ?」なのかどうか、ということです。
この問題について、鬼頭莫宏先生の『のりりん』と宮尾岳先生の『アオバ自転車店』を引用してちょっと僕の意見を述べさせてもらいます。
上記のコメントを頂いた時、脳裏をよぎったのは
鬼頭莫宏先生の『のりりん』の主人公・丸子 一典(まりこ かずのり)のセリフです。

「あージャマくせえ、チャリ野郎。
ウロチョロ走りやがって、大して早くもねーくせに
おとなしく歩道走ってろっての」
(鬼頭莫宏『のりりん』1巻3Pより)
ひょっとして、車に乗ってて似たようなセリフを吐いたことがある人、
言わなくても心のなかでそっとつぶやいてる人、けっこういらっしゃるんじゃないでしょうか。
僕は自転車にも乗りますが、原付二種にも乗ってるので、その場合は当然車道を走っています。
まあバイクなのでそこまで自転車をジャマくさく感じたことはないのですが
車(=四輪)に乗ってる方からしてみたら、自転車はたしかにジャマかもしれません。
ジャマというよりはぶつかってしまいそうで怖いんですよね。
車で自転車と接触事故を起こしたら、おそらく車のドライバーのほうがかなりの責任を問われるでしょうからねえ。
話を『のりりん』に戻します。
簡単にストーリーを説明すると、主人公の丸子は自転車やそれに乗る人を毛嫌いしているドライバーなのですが、不運が重なって免許取り消しという事態に見舞われることとなってしまいます。
そして妙な縁で知り合ったラーメン店を営む家族(全員自転車乗り)に、半ば強制的にロードバイクを経験させられることに。
はじめこそ受動的だった丸子も、だんだんと自転車の魅力に惹かれていきます。
そんな折、丸子が出会ったのはロード乗りである等々力 潤。
どっちかいうと車派である丸子と対立するキャラである等々力はこう主張します。

「道路でジャマなのは車の方だ。
無駄にでかい図体で、サルみたくアクセル踏んでるだけで
自分達が世界の中心だとでも思ってるのか?
自分の力じゃたいして何もしてなくて
大昔の生物の力におんぶにだっこで運んでもらってるくせに
偉そうなんだよ」
(鬼頭莫宏『のりりん』2巻9Pより)
等々力は等々力で車を目の敵にした感じの嫌いようですが、
こっちの主張もまあ、一理なくはないかな、と…。
車に乗ってるから偉いというわけではない、って話ですね。

「車も自転車も趣味として見れば社会に甘えてるんだから
どちらが偉いとか、そういう話じゃないでしょう」
(鬼頭莫宏『のりりん』2巻10Pより)
ラーメン店のおかみさん(この人が曲者w)の一言でとりあえずこの舌戦は手打ちとなるわけですが、
自転車にとっては車はジャマだし、車から見たら自転車はジャマだし、どっちもどっちな話であるわけです
(ちなみにこの二人はレース対決の後に和解します)。
さて、では車道に自転車が出てるとなぜジャマなんでしょう?
答えは簡単で、車が通りたいところに自転車がはみ出て走行しているからです。
逆に言えば道路が狭いんですが、実は別の観点から見た意外と気付かない真実があります。
宮尾岳先生の『アオバ自転車店』という漫画があります。
作品の詳しい概要はリンク先のウィキペディアを読んでもらうとして、簡単に説明すると、アオバ自転車店に立ち寄るお客さんと、そのお客さんが出会う自転車との人間ドラマを描く作品です。
かれこれシリーズが第三部まで達し、コミックスも40冊以上が刊行されていてなおかつ連載中という自転車漫画の金字塔なのですがなぜか知名度はあまり高くないんですよねえ。
ま、それはさておき…。
『アオバ自転車店』の中に、なぜ車道を走る自転車がジャマなのかについてこういう描写があります。

「日本の車は40年でこんなに大きくなってます。特に車幅!
ボディー自体が15センチ幅広くなってるのに加えて
1983年のドアミラー解禁により
道路上では2メートル幅をとっています。つまり!」

「道路全体の幅が昔と同じならば…
歩道が作られ車が大きくなると、
自転車との車間がどんどん狭くなります」

「なるほど!普通にクルマを走らせてても」
「昔にくらべて今は幅寄せしたみたいになっちまうんだ」
「車は新型になるたびにどのメーカーも
『旧型よりこんなに広くなった、大きくなった』を売りにします。
これの慢性的な繰り返しで
40年でどんどん大きくなっていったんですね。
歩行者の安全のために作られた歩道も
そのほとんどが車側の都合で作られています。
幅1メートルに満たない歩道に太い電信柱が立つと
すれ違うことも不可能ですね」
(宮尾岳『アオバ自転車店』11巻100~102Pより)
という、「車道に自転車が出たらジャマな理由」が
数十年の時をかけて着々と構築されていってしまったわけですね。
これは盲点で、それこそ歩道や何やらが作られる前からそこに住んでる人じゃないと気付けないわけです。
ではでは、どうすればこの問題は解決するのか?ですが…
理想的なことを言えば、歩道を含めたすべての道路の幅をもっと広くして
歩道・自転車道・車道と区切ってしまえば問題は解決したも同然なのですが
実際問題それができるかといったら、物理的・時間的・経済的にほぼ不可能でしょう。
とはいえ、最近は道交法の改正などによって自転車使用者に対する政府の見方も若干変わりつつあるようです。
場所によっては自転車専用の道を徐々に拡大していく運動もあるのだとか。
国土交通省にはがんばっていただきたいものです。
つっても、今現在の話をするならやっぱり
自転車にとって車はジャマで、車にとって自転車はジャマなわけです。
少しでもその不和を解消するためには、最低限のマナーやモラル、安全教育が必要となってきます。
ざっと思いつくあたりでは…
・自転車は「軽車両」の扱いなので左側通行を守る。
時々ものすごい勢いで右側通行=逆走をしてくる自転車がいますが
あれは自転車にとっても車にとっても危険なのでやめましょう!
・夜間にはできるだけ目立つ装備で走る。
最低限、前照灯はつけましょう!
さらに↓こんな装備もあります。

「この光の輪の正体は車輪のバルブにかぶせるLEDライトです。
これは停車時には光りません。
走り出し車輪が回転を始めると
遠心力で内蔵されたボタン電池にスイッチが入り
棒状のLED発光部が光ります」

「一般車にも車輪にサイド・リフレクターが付いていますが
これは車のライトを受けて初めて反射し光るものです。
この自光式であればもっと手前からでも容易に認識してもらえます。
ナイト・ランで大事なことは
自分がヘッドライトで『見る事』と
他車から『見られる事』です。
服装もなるべく明るい色のものを。
そして冬場だからと分厚いコートを着るのではなく
何枚か薄手のものを重ね着して体温調節しましょう」
(宮尾岳『アオバ自転車店』3巻72~73Pより)
さらに、自転車の前部や後部にフラッシングライト(点滅するライト)をつけると相手から認識されやすくなります。最近はフラッシングライトを付けてる人も多いですね。
ただし気を付けなければならないことは、フラッシングライトは前照灯の代わりにはならないということ!
フラッシングライトはあくまで相手に気付いてもらうための補助灯で、前を照らすための前照灯としては法規で認められていないのです。(参考リンク)
夜間に自転車で走る際は、必ず前照灯をつけましょう!
・自転車のそばを走行する際はなるべくスピードを落とす
これは自転車ではなくクルマ側の話ですが、自転車のそばを走行する際は距離を空けつつ速度を落としつつ走行しましょう。
自転車がジャマ!という気持ちは分からないではないですが、車に乗ってるあなたと自転車に乗ってるその人は対等の立場です。どちらが偉いとかいう問題ではありません。
思いやりと譲り合いの精神を持ちましょう。
簡単にまとめるとこんなところでしょうか。
長くなってしまいましたが(その割に言いたいことはまだまだたくさんあるのですが)
とりあえずこの言葉でこの記事を〆させて頂きます。

「残念ながら、都会の劣悪な交通環境は
すぐには改善できません。
(中略)
しかし誰だって、加害者にも被害者にもなりたくありません。
人間はなぜか、速い大きな乗り物に乗るごとに
強くなった!偉くなったような気になります。 が 」

「『速く走れる方が偉い』なんて一文は
世界中どこの国の法規にもありませんよ」
「ぶっちゃけ!
あたしら子供が望むことは」

「昼でも夜でもどんな街でも
その場所で一番速く走れる人は
一番紳士であってくれ!だよ」
(宮尾岳『アオバ自転車店』16巻175~177Pより)
※今回の文章を書くにあたり、鬼頭莫宏先生の『のりりん』と宮尾岳先生の『アオバ自転車店』の両作品の文章・画像を拝借させて頂きました。
画像の引用は決して褒められたものではないのは重々承知ですが、堅い文章を少しでも閲覧者の方にとっつきやすくし、この記事を読んだ人の、自転車や車を運転する際のマナー・モラル向上の一環になればと考えたがゆえの苦肉の策でした。
著作権はすべて作者様が有するものであり、また管理人に引用の悪意はないことをここに記しておきます。
>>ロードバイク
健康的でいい趣味だなぁと思う反面…
言いにくいんですけど、車、バイク(原付だけど)に乗ってる身の自分としては、やっぱり非常に邪魔で危険な存在です
よいロード乗り、悪いロード乗り、上級者、初心者、自転車の種類に関わらず。
自分とその周囲の人間は大体こんな感じです。
弱虫ペダルは好きだけどw本誌ではもうすぐ決着!熱い!
本当、『弱虫ペダル』は面白いですよね!
…とまあそれは置いといて(笑)
今回の主題は「車道を走る自転車はジャマ?」なのかどうか、ということです。
この問題について、鬼頭莫宏先生の『のりりん』と宮尾岳先生の『アオバ自転車店』を引用してちょっと僕の意見を述べさせてもらいます。
上記のコメントを頂いた時、脳裏をよぎったのは
鬼頭莫宏先生の『のりりん』の主人公・丸子 一典(まりこ かずのり)のセリフです。

「あージャマくせえ、チャリ野郎。
ウロチョロ走りやがって、大して早くもねーくせに
おとなしく歩道走ってろっての」
(鬼頭莫宏『のりりん』1巻3Pより)
ひょっとして、車に乗ってて似たようなセリフを吐いたことがある人、
言わなくても心のなかでそっとつぶやいてる人、けっこういらっしゃるんじゃないでしょうか。
僕は自転車にも乗りますが、原付二種にも乗ってるので、その場合は当然車道を走っています。
まあバイクなのでそこまで自転車をジャマくさく感じたことはないのですが
車(=四輪)に乗ってる方からしてみたら、自転車はたしかにジャマかもしれません。
ジャマというよりはぶつかってしまいそうで怖いんですよね。
車で自転車と接触事故を起こしたら、おそらく車のドライバーのほうがかなりの責任を問われるでしょうからねえ。
話を『のりりん』に戻します。
簡単にストーリーを説明すると、主人公の丸子は自転車やそれに乗る人を毛嫌いしているドライバーなのですが、不運が重なって免許取り消しという事態に見舞われることとなってしまいます。
そして妙な縁で知り合ったラーメン店を営む家族(全員自転車乗り)に、半ば強制的にロードバイクを経験させられることに。
はじめこそ受動的だった丸子も、だんだんと自転車の魅力に惹かれていきます。
そんな折、丸子が出会ったのはロード乗りである等々力 潤。
どっちかいうと車派である丸子と対立するキャラである等々力はこう主張します。

「道路でジャマなのは車の方だ。
無駄にでかい図体で、サルみたくアクセル踏んでるだけで
自分達が世界の中心だとでも思ってるのか?
自分の力じゃたいして何もしてなくて
大昔の生物の力におんぶにだっこで運んでもらってるくせに
偉そうなんだよ」
(鬼頭莫宏『のりりん』2巻9Pより)
等々力は等々力で車を目の敵にした感じの嫌いようですが、
こっちの主張もまあ、一理なくはないかな、と…。
車に乗ってるから偉いというわけではない、って話ですね。

「車も自転車も趣味として見れば社会に甘えてるんだから
どちらが偉いとか、そういう話じゃないでしょう」
(鬼頭莫宏『のりりん』2巻10Pより)
ラーメン店のおかみさん(この人が曲者w)の一言でとりあえずこの舌戦は手打ちとなるわけですが、
自転車にとっては車はジャマだし、車から見たら自転車はジャマだし、どっちもどっちな話であるわけです
(ちなみにこの二人はレース対決の後に和解します)。
さて、では車道に自転車が出てるとなぜジャマなんでしょう?
答えは簡単で、車が通りたいところに自転車がはみ出て走行しているからです。
逆に言えば道路が狭いんですが、実は別の観点から見た意外と気付かない真実があります。
宮尾岳先生の『アオバ自転車店』という漫画があります。
作品の詳しい概要はリンク先のウィキペディアを読んでもらうとして、簡単に説明すると、アオバ自転車店に立ち寄るお客さんと、そのお客さんが出会う自転車との人間ドラマを描く作品です。
かれこれシリーズが第三部まで達し、コミックスも40冊以上が刊行されていてなおかつ連載中という自転車漫画の金字塔なのですがなぜか知名度はあまり高くないんですよねえ。
ま、それはさておき…。
『アオバ自転車店』の中に、なぜ車道を走る自転車がジャマなのかについてこういう描写があります。

「日本の車は40年でこんなに大きくなってます。特に車幅!
ボディー自体が15センチ幅広くなってるのに加えて
1983年のドアミラー解禁により
道路上では2メートル幅をとっています。つまり!」

「道路全体の幅が昔と同じならば…
歩道が作られ車が大きくなると、
自転車との車間がどんどん狭くなります」

「なるほど!普通にクルマを走らせてても」
「昔にくらべて今は幅寄せしたみたいになっちまうんだ」
「車は新型になるたびにどのメーカーも
『旧型よりこんなに広くなった、大きくなった』を売りにします。
これの慢性的な繰り返しで
40年でどんどん大きくなっていったんですね。
歩行者の安全のために作られた歩道も
そのほとんどが車側の都合で作られています。
幅1メートルに満たない歩道に太い電信柱が立つと
すれ違うことも不可能ですね」
(宮尾岳『アオバ自転車店』11巻100~102Pより)
という、「車道に自転車が出たらジャマな理由」が
数十年の時をかけて着々と構築されていってしまったわけですね。
これは盲点で、それこそ歩道や何やらが作られる前からそこに住んでる人じゃないと気付けないわけです。
ではでは、どうすればこの問題は解決するのか?ですが…
理想的なことを言えば、歩道を含めたすべての道路の幅をもっと広くして
歩道・自転車道・車道と区切ってしまえば問題は解決したも同然なのですが
実際問題それができるかといったら、物理的・時間的・経済的にほぼ不可能でしょう。
とはいえ、最近は道交法の改正などによって自転車使用者に対する政府の見方も若干変わりつつあるようです。
場所によっては自転車専用の道を徐々に拡大していく運動もあるのだとか。
国土交通省にはがんばっていただきたいものです。
つっても、今現在の話をするならやっぱり
自転車にとって車はジャマで、車にとって自転車はジャマなわけです。
少しでもその不和を解消するためには、最低限のマナーやモラル、安全教育が必要となってきます。
ざっと思いつくあたりでは…
・自転車は「軽車両」の扱いなので左側通行を守る。
時々ものすごい勢いで右側通行=逆走をしてくる自転車がいますが
あれは自転車にとっても車にとっても危険なのでやめましょう!
・夜間にはできるだけ目立つ装備で走る。
最低限、前照灯はつけましょう!
さらに↓こんな装備もあります。

「この光の輪の正体は車輪のバルブにかぶせるLEDライトです。
これは停車時には光りません。
走り出し車輪が回転を始めると
遠心力で内蔵されたボタン電池にスイッチが入り
棒状のLED発光部が光ります」

「一般車にも車輪にサイド・リフレクターが付いていますが
これは車のライトを受けて初めて反射し光るものです。
この自光式であればもっと手前からでも容易に認識してもらえます。
ナイト・ランで大事なことは
自分がヘッドライトで『見る事』と
他車から『見られる事』です。
服装もなるべく明るい色のものを。
そして冬場だからと分厚いコートを着るのではなく
何枚か薄手のものを重ね着して体温調節しましょう」
(宮尾岳『アオバ自転車店』3巻72~73Pより)
さらに、自転車の前部や後部にフラッシングライト(点滅するライト)をつけると相手から認識されやすくなります。最近はフラッシングライトを付けてる人も多いですね。
ただし気を付けなければならないことは、フラッシングライトは前照灯の代わりにはならないということ!
フラッシングライトはあくまで相手に気付いてもらうための補助灯で、前を照らすための前照灯としては法規で認められていないのです。(参考リンク)
夜間に自転車で走る際は、必ず前照灯をつけましょう!
・自転車のそばを走行する際はなるべくスピードを落とす
これは自転車ではなくクルマ側の話ですが、自転車のそばを走行する際は距離を空けつつ速度を落としつつ走行しましょう。
自転車がジャマ!という気持ちは分からないではないですが、車に乗ってるあなたと自転車に乗ってるその人は対等の立場です。どちらが偉いとかいう問題ではありません。
思いやりと譲り合いの精神を持ちましょう。
簡単にまとめるとこんなところでしょうか。
長くなってしまいましたが(その割に言いたいことはまだまだたくさんあるのですが)
とりあえずこの言葉でこの記事を〆させて頂きます。

「残念ながら、都会の劣悪な交通環境は
すぐには改善できません。
(中略)
しかし誰だって、加害者にも被害者にもなりたくありません。
人間はなぜか、速い大きな乗り物に乗るごとに
強くなった!偉くなったような気になります。 が 」

「『速く走れる方が偉い』なんて一文は
世界中どこの国の法規にもありませんよ」
「ぶっちゃけ!
あたしら子供が望むことは」

「昼でも夜でもどんな街でも
その場所で一番速く走れる人は
一番紳士であってくれ!だよ」
(宮尾岳『アオバ自転車店』16巻175~177Pより)
※今回の文章を書くにあたり、鬼頭莫宏先生の『のりりん』と宮尾岳先生の『アオバ自転車店』の両作品の文章・画像を拝借させて頂きました。
画像の引用は決して褒められたものではないのは重々承知ですが、堅い文章を少しでも閲覧者の方にとっつきやすくし、この記事を読んだ人の、自転車や車を運転する際のマナー・モラル向上の一環になればと考えたがゆえの苦肉の策でした。
著作権はすべて作者様が有するものであり、また管理人に引用の悪意はないことをここに記しておきます。